2018年9月18日 火曜日

極端過激

Filed under: 社長の望月です。 — webmaster @ 9:23:07

今期のテーマの中にある、極端過激。

失敗を怖がる従来の発想では、何かを変える時に、段々、とか、徐々にと、進める。

例えば、1mの棒を、少し短くするときに、いきなり50cmにすることには勇気がいる。

しかし、10cm刻みでは、あまり変化を感じることは難しく、気付けば『えっ!』という短くなってしまったりする。

道路交通法では、酒気帯び運転や飲酒運転に対する刑罰が、極端に厳しくなった。罰金は酒気帯びでも30万円、同乗者にも30万円。中には、お酒を出したお店にも罰金刑が課せられるケースもある。

免許取り消しや、罰金100万円もざらにある。

他の違反に比べれば、極端に厳しい。

その結果、酒気帯び運転や飲酒運転は激減したといわれている。

万引きや引ったくり、コンビニ強盗のような軽微な犯罪に対し、日本の刑罰は軽い。だから減らない、という有識者の意見は多い。中東のように、腕を切ってしまうとか、極端に重くしたら減るんじゃないかと感じる。

プロ野球の選手が、三振したらクビとか、野手が打球をトンネルしたらクビ・・・

学生が、今度のテストで100点取れなかったら退学になる・・・

もちろん、このようなことは話の中だけのことで、実際に行われることはない。

しかし、もしもの中で考えてみると、練習は変わり、集中力と緊張感が高まり、極端にレベルが上がるような気がする。

私たちは、何かを失敗しても、その代償を支払うことはほとんどない。

やがてそれは当たり前になり、『次は頑張ろう』と失敗について反省したり分析しなくなる。その内には、ただのダメ人間に成長してしまう。

本当に怖い。

『私は自分を変えたいんです』と思う人がいる。

そのような人は、男性なら丸刈りにしてしまうとか、自家用車をフェラーリにするとか、ライザップに通うとか、極端な行動にでないと変わらないと考える。

今日こんな話をしたのは、自分の中にある、変化に対する無意識な嫌悪感が、ほとほと情けなることを実感したから。

昨日丸一日落ち込んで、夕食前の入浴中に気付いたのが、変化するなら極端に、であった。

そう気付いても、なかなか極端な変化を実行することは難しくもあるが、この発想は、今後に於いて、実は貴重であるかもしれないことに、なにやら楽しみを感じる。

2018年9月12日 水曜日

風が吹けば・・・

Filed under: 社長の望月です。 — webmaster @ 8:41:09

風が吹けば、桶屋が儲かる

yahoo辞書には、次のような説明がある。日本語ことわざで、ある事象の発生により、一見すると全く関係がないと思われる場所・物事に影響が及ぶことの喩えである。また現代では、その論証に用いられる例が突飛であるゆえに、「可能性の低い因果関係を無理矢理つなげてできたこじつけの理論・言いぐさ」を指すことがある。

この発想は、メタファー思考に類似していて面白い。

一見すると無関係なAとBを仮説で関連付ける考え方は、社会に対して関心を持たせるには最適な方法でもある。

混沌としているような状況の中で、何らかの、自分なりの関連性を発見することは実に面白い。

アジャスティング能力アップにも効果がある。

新聞の社会面や、ニュースの世界情報への興味が変わってくると、『事実と真実は違う』なんて言葉を発するようになる。

2018年9月11日 火曜日

人間家族 < 猿家族

Filed under: 社長の望月です。 — webmaster @ 11:06:27

家族を辞書で調べると、次のような説明がある。

夫婦とその血縁関係者を中心に構成され、共同生活の単位となる集団。近代家族では、夫婦とその未婚の子からなる核家族が一般的形態。

最近、テレビで、家族をテーマにした番組が少なくなった気がする。

まぁ、仮にあったとしても、家庭崩壊や親子仲が悪いとか、どことなく寒々しい。サザエさんとか、ちびまる子ちゃんを、大人までもが楽しみにするのが分かる。

昔の日本には、家族同士は、ハッキリと縦社会であり、義務も発生した。お父さんが一番偉く、長男はその次に偉い。どちらかと言えば男尊女卑的な面もあった。

理屈じゃない。

お父さんには家長としての責任があった。家族が何かしでかすと、お父さんが謝りに行った。

長男は、家を継ぎ、両親の面倒を見る。

お母さんは家内の総務責任者、弟や姉妹は、遠慮深く、しかも目上を立てて生活する。

こんなことは当たり前のことで、差別とか人権無視とか、全く誰も考えもしていなかったようだ。

それでいて、平和な社会であり、現代よりもほのぼのしていた時代だったと聞く。

我が家でも、誰が偉いのか、誰が誰の面倒を見るのか、というような決まり事は一切ない。

親が子供の面倒を見ることだけは決まっている。

しかし、それを子供が改めて感謝しているかどうかの実感はあまりない。

掃除するわけでもない、洗濯するわけでもない、親の看病もしなければ、肩を揉むなどとんでもない話だ。

『親だろ』と扶養を当たり前に要求するなら、『子供だろ』と要求される何かをしないとバランスが崩れる。

何かをしてもらって当たり前、という現代社会の風潮は、このように、家庭で作られている。

結婚観も変わってきた。

一口に家族と言っても、色々な形がある。一緒に暮らしていても不幸な家族もあれば、離れて暮らしていても幸せな家族もある。

血縁についても同じだろう。

日本は核家族化が進み、家族ではなく同居人を家族と呼ぶようになった気がする。

経済的独立がなくとも、人格だの個性だの、権利だの主義だのと、口先アダルトも増加してきた。

全てに対等意識で、親子でも兄弟でも、組織内でも対立が増加傾向の世の中に対し、責任感の強い人にとっては馬鹿馬鹿しさしか目に映らないだろう。

誰にも頼らないなら、人間社会から消えればいいのに、そうはならないので面倒くさいことが起きる。

先輩経営者はつぶやく・・・

『野山のサルがうらやましい』

2018年9月10日 月曜日

自分も入っている確率

Filed under: 社長の望月です。 — webmaster @ 12:07:56

重大事故や災害は、毎日発生し、何秒かに一人の割合で、怪我や死亡にまで至る。

交通事故は平成27年度データによると、537,000件発生し、67万人の死傷者が出ている。

1日当り1836人になり、1時間では76人、1分では1人以上・・・

事故による死亡者4117人、1日では11人にも及ぶ。

その他の交通機関による死傷、事件被害、食中毒や医療ミス、巻き込まれ事故や事件を数えると、まぁまぁな数字になることが想像できる。

さらに、病気や怪我まで考えると、もう他人事ではない。

ネットの世界に目を向けてみよう。

日経ビジネスによると、全世界では1日当り800億件のサイバー攻撃を受けているとある。

新種のマルウェアは1日当りで30万種が誕生し、悪意あるハッキングによるデータ流出は78万件、フィッシング詐欺は3万3千件・・・

それでも、無防備なPCで大切なデータを管理している。

私の意見は以前から言うように、『自衛時代』である。

自備、自助は当たり前になったわけで、自守まで考える。

もう誰かのせいにもできなくなる。

災害が起きるたびに、国や地方自治体に頼ってばかりいられなくなった。昔はそうでも、社会環境も気候が大きく変化している現代においては、自備、自助、自守なのだ。

『自分は大丈夫』

私はそうは思わない。

何も考えず、誰かが何とかしてくれるだろう、という無責任で迷惑な考えである。

日本のことわざで、こんなものがある。

『盗人を、捕えてみたら我が子なり』

性善説を信じるが、身内の出来心には警戒し、抑止をするのも、自衛である。災害は人間の力ではどうにもできないが、犯罪や人災はそうではない。

何かに対しての備えは、アドバンテージであり、心の安心感を与える。

自分はいつも生きているという錯覚に気付くと、今この時の瞬間こそ、一生懸命になろうと実感できる。

他人を羨む卑しい心が、いつの間にか消えている。

自備、自助、自守の考えは、結果的にお互いを幸せにする。

勉強でも仕事でも同じこと。

何かに備える、という考え方を持つように、お互いが変わってゆきましょう。

2018年8月29日 水曜日

自由

Filed under: 社長の望月です。 — webmaster @ 14:05:50

『自由になりたい』と自由を望む人が多い。

先進諸国では、国民に色々な自由を与えている。

日本では、憲法において、職業選択の自由、言論の自由、信仰の自由等々。

しかし、本当に自由は素晴らしいことなのだろうか。

人間社会における自由とは、実は法律や習慣、マナーやモラルがあってこその自由であって、全くの自由というものはない。

自由を求めることの無意味さを感じないだろうか。

自由とは、それ相応の束縛がある。だから、本来の意味での自由は、実は存在しないのではないだろうかと考える。従って、『自由になりたい』という言葉の真意は、『自分勝手にやりたい』という逃避の心ともいえる。

ところで、学校では、権利に対して義務があると教える。

しかし、社会を見てみると、義務は果たさず、権利ばかり主張する人が多い。

社会では、自由に対し、責任がセットになる。大きな自由を持つ人は、大きな責任がついて回る。なるほど大人の世界という感じがする。

しかし、自由ばかり欲しがり、責任を持ちたがらない人が多いのは、権利と義務と同様である。

自由が幸せなのかと思いがちだが、そうでもないと感じることがある。

それは、束縛的な生活にいるよりも、自分で選択しなくてはいけないことが増えるからだ。自分で選択した方がいいよな気もするが、実はそうではない。

選択には決断が付きまという。

この、決断という思考が人間に与えるストレスは大きい。

だから、案外と、他人が決めたことに、文句を言いながらも従ったり乗っかったりしている方が疲れない。

仕事でも、『君の自由にやってみろ』と言われるよりも、具体的な指示に従う方が、楽なのだ。社会は、意外と統制されている。だから人間は狂わない。

善悪の話ではなく、人間社会は、そういうモノであり、それを知らずに、自由を求めることの馬鹿馬鹿しさに気付くのも、一つの考えなのではないだろうか。

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