2018年2月13日 火曜日

X(エックス)

Filed under: 社長の望月です。 — webmaster @ 9:40:01

スノーボードやサーフィン、フリースタイルスキーなどの新興競技を、エクトリームスポーツと呼び、若者世代を中心に広がっている。

モトクロス、BMX、ボーダークロスも同様だ。

2020のTYOオリンピックでは、スケートボード、クライミングのように、さらにその広がりを見せるようである。

ちなみに、エクストリームとは、極端とか、過激、極限という意味。

最近耳にするようになったアルティメットは究極。

私世代、昭和35年から45年生まれは、その昔にX世代と呼ばれていた。

理由は、ちょうどその頃に、エクストリームスポーツが世に出始めたからだという。

サーフィン、スノーボード、BMXのように、自分の思うように技を出し、ジャッジがそれを採点するという、言わば、競技というより、演技に近い。

何でも決められたことを守らされ、家庭でも学校でも汲々としていた子供たちには、正に持って来いというスポーツだった。

誰もやったことが無い、誰も見たことが無い、誰も言ったことが無い・・・

未知への憧れは、世代も人種も越えてある。

わざわざ危険が伴う未知へ挑戦する人間は、アホだけど凄いと感じる。

私の本質も、そこに強烈なシンパシーに近いモノがある気がする。

Xには、未知である場合にとりあえずつけられる名前としても日常から耳にする。

容疑者エックスとか、物体エックス、惑星X、ウルトラマX等々。

どことなく、謎めいたイメージのあるXには、未知的であるがゆえに、何故か好意的でさえある感覚を覚える。

With X

こんなモットーも素敵だな、と感じる。

Filed under: 社長の望月です。 — webmaster @ 8:23:21

平昌オリンピックで、日本人選手のメダルラッシュが始まった。

特に高梨選手のパフォーマンスには、期待というよりも、何とか獲らせてあげたい、という思いで、緊張してその時を迎えた人は多いのではないだろうか。

 平昌五輪ジャンプ女子ノーマルヒル。銅メダルを獲得し、笑顔を見せる高梨沙羅=韓国・平昌

本当に良かった、そして、おめでとうございます。

もちろん、他の日本人選手にも、その健闘や、ここまでの努力や辛抱、苦しさを乗り越えてきたことに、心から敬意を表します。

〔五輪・スピードスケート〕女子1500メートルで2位になり、両手を挙げて喜ぶ高木美帆=12日、韓国・江陵

まともな、というよりも、ごくごく一般的で、平均的な心では、オリンピック出場などということは出来ないと感じている。同じ日本人として、誇らしい。

〔五輪・フリースタイル〕男子モーグルで3位になり日の丸を掲げる原大智=12日、韓国・平昌

競技はワンチャンスで待ったなし。

日本人選手が登場する度に、万感の思いが胸に湧く。

ところで、今回、メダルを受け取る日本人選手は、今までとは違う姿が印象的だ。

これまでは、悔し涙に濡れるメダルを多く見てきたが、平昌オリンピックで、メダルを獲得した選手たちの涙は爽やかだった。

頑張った選手、サポートしてきた人たち全員が、嬉し涙で良いと感じる。

自分も頑張ってみよう、自分にも挑戦できるかもしれない、あの舞台に立ちたいなど、色々な夢や希望を、多くの日本人に抱かせる。

メダル獲得もさることながら、出場おめでとうなのだ。

場所は変わって、同じころ、アメリカ合衆国では、バストーナメントが開催された。

Bassmaster Logo

そこで、日本人の大森選手が、見事優勝を飾った。

試合中の姿は、正に戦う姿であり、参加することに意義があるのではなく、勝つことに意義があることを教えてくれる。

一番!!

https://www.bassmaster.com/video/takahiros-big-day-4-catch

就活中の学生たちに伝えたい。

あなた方は、一般的な人生を選んだ。

しかしながら、その姿を通じ、人に売や希望、感動を与える仕事を目指してもらいたい。

ゴールはそのステージでのナンバーワンである。

何かに感動したら、次は自分が、与える何かになる。

難しいことじゃない。

一生懸命や努力は、人に笑われるくらいで丁度いいそうだ。

お互い頑張ろう。

2018年2月7日 水曜日

永年勤続は立派、という考え

Filed under: 社長の望月です。 — webmaster @ 16:12:19

昨年の30周年記念式典で表彰された、20年以上の永年勤続者5名。

今年はさいたま市からの表彰を受け、さらには先日、会社からの副賞旅行ではハワイへ。

5名の中には、25年、29年という功労者もいる。

本当にありがたいことだと、心から感謝している。

ところで、最近のテレビCMで、転職斡旋会社が目立つ。

『いいじゃん、いいじゃん』

『やってみな』

自分の経歴やスキルを活かして、何かに挑戦する意識は立派だと思う。

しかし、転職する9割の人は、今の環境や待遇に対し、不満であることが理由だと聞く。

不満があるから転職する。

では、転職しない人には不満が無いのか、と尋ねれば、絶対にそんなことはない。

私の就職観は、結婚観に近い。

たまたま出会い、その人と家庭を築く。

家族に対して、良いことばかりではなく、嫌なことも不満も出る。

そこで離婚する人もいれば、添い遂げる人もいる。

結婚した後に、好きな人が出来たので離婚したい・・・

私は『いいじゃん、いいじゃん』とは言えない。

不満のある家庭で我慢するよりも、いっそのこと離婚した方が幸福だ、という意見も分からなくはないが、結局は同じことの繰り返しになると感じる。

では、我慢するのか?

結婚とは、人生の墓場だ、といった人がいる。

この人は、最後まで添い遂げる覚悟があったのだろうと、今さらながら感心した。

今回の永年勤続表彰の受賞者の中にも、我慢と忍耐の時期にいた人はいる。

それでも頑張った理由として、『お客様がいる』が一番だった。

夫婦では、子は鎹(カスガイ)となるが、仕事では、お客様が鎹なのだろう。

今後は『部下がいる』という理由も入ってくれば、さらに堅固な組織になるだろう。

若い人にも、ミドル世代にも、ますます期待が高まってきた。

奇麗な虹を見るためには、雨に降られれなければならない。

2018年1月29日 月曜日

答え

Filed under: 社長の望月です。 — webmaster @ 9:32:57

多数決で決まる社会には、良いこともあれば良くないこともある。

1つは、皆で渡れば怖くない、という流された行動による安心感。

みんなやってる、みんな行っている・・・

多数派が正しく、少数派は正しくない・・・

まぁ、善悪は別にして、そうでもしなければ、人間社会はまとまらない都合がある。

何となく納得していないことでも、みんなで決めたことだから、と、不承不承でやっていることは多いだろうし、そのうちには、何の違和感も持たなくなる。

ところで、あなたは、今の人生に納得しているのだろうか。

納得している人、納得していない人、考えたこともない・・・

一番幸せなのは、考えたこともない人だろう。

自分の人生に、何の疑問もなく、欲もなく、従って何かに苦しんだりもしない。

次は、納得している人。目的に気づき、何をするのか発想し、自分のために努力できる。

では、納得をしていない人は、何故そうなるのか。

私の意見では、自分で答えを出さないからである。

誰かが言ってた、誰かがやってた、と、常に誰かの答えを知ろうとする。

自分の答えが怖い・・・

間違っていたらどうしよう、失敗したらどうしようと、結果に不安を持つ。

私も、同じようだったからわかる。

もう人の答えに流されるのはやめよう。

自分の答えを出す。

その答えに照らし合わせる、モラルとかルールは重要であるが、それに従ったところで、大きな影響はない。

自分の意見を押し付けようとする人は、責任感が強い。

中には、自信過剰で、やりっ放しの人もいるが、それはそれで他人に刺激を与える大切な人である。

私は、マイナビ転職のCMが嫌いだ。

頑張ることを否定し、青い芝に目のくらむ人を応援し、幸せの青い鳥を探す旅を促す。

しかし、転職が恥ずかしい世代が減り、転職が、さも挑戦する勇気のある人と高評価の時代になった。

定職につかない人でも、フリーターと、堂々と胸を張れる世代に、私のマイナビ論を訴えたところでナンセンスだろう。

自分で答えを見つける。

自分の答えが見つかるまでは、他人の答えに乗っかってもいい。

しかし、それではきっと、あなたは人生に納得しない。

広く社会に目を向け、どんな時代になるのか、自分で考え、自分で答えを見出す。

あらゆるものが豊かになった時代・・・

ないのは、自分の答えだけのような気がする。

就活が賑やかになっている。

どんな会社なのかは大切だが、その前に、自分は何をしたいのか、という答えを出す。

そんなに難しいことではない。

私は、誰かの役に立ちたい、誰かに喜んでもらいたい、という自分気持ちに気づけた。

たまたま、それを通信という産業で、営業という職種を通じて現実化してきた。

しかし、最初から納得していたわけではないところが、所詮は凡人なのである。

2018年1月16日 火曜日

神様

Filed under: 社長の望月です。 — webmaster @ 16:14:01

辞書では次のように説明している。

人間を超えた存在で、人間に対し禍福や賞罰を与え、信仰・崇拝の対象となるもの。

宗教・習俗において、信仰・崇拝・儀礼・神話・教義などの中心となる位格・存在

『あなたは神を信じますか?』と問われた場合、同のように返答しますか。

信じると言っては変に思われそうだし、信じないと言っても不審がられそうだし・・・

子供の頃から、見たこともない神様を、人はなぜ、その存在を否定しないのだろうか。

最近の若者たちは、神ってる、という表現を使うが、無意識では神を信じてるのだろうか。

その昔、人間社会では、理屈や説明のできない成功や幸運、失敗や不幸に遭うと、そのことを説明するため、または理解しようとして、仮の存在を想像したことが、宗教の始まりだと言われている。

さらにもっと昔は、大自然だとか宇宙だとか、動物等を人間を超えた偉大なるものとして崇めたそうである。

今年も、多くの日本人は、神社やお寺に、初詣に出かけた。

お札を買ったり、お守りを買ったり、中には破魔矢や絵馬買っただろう。

お賽銭をした人は多いだろう・・・

それらの行為自体は、何かを崇める、何かに誓う、という意味では素晴らしい。

但し、大切なのは、その後なのだと感じる。

神様というか、宗教というか、また、その人の信じる何かでもいいが、そこに対する誓いや約束を平気で破り、悪びれもせずに、また何かをお願いする。

あらゆる宗教では、その修業は厳しい。

その神を信じている人が、厳しい修行をしているというのに、信じてもいない人が、年に一回お願いしに行くだけで、良いことを期待する事ってどうなんだろうと感じる。

まぁ、私自身が、とても立派で正しい行いばかりしているわけでもないし、お手本を示しているわけでもない。

ただ思うのは、自分が正しいと思う何かを畏れ、その道を外れないように努力することが大切で、自力本願に精を出すことが、ある意味では勉強なのだ。

慌ただしい毎日の中、自分で自分の答えを出すことは難しいのかもしれない。

しかし、他人の出した答えに、釈然をしないまま、不平不満をもって従うより、やはり自分の出した答えに従いたい。

今年一年は、自分の出す答えに、自信と誇り、そして責任をもって行動する。

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