2018年4月24日 火曜日

そんなつもり・・・

Filed under: 社長の望月です。 — webmaster @ 16:30:07

世の中、生活していれば、気を遣うし、気を遣われる。

最近では、忖度という言葉で、再認識させられた人は多いと思う。

政治の世界の忖度は別にしても、気遣いが出来るかどうかは、その人の人生にもかかわる。

その気遣いだが、時には、良かれと思ってしたことが、違うように受け止められて、帰って悪い結果を招くこともある。

『そんなつもりじゃなかったのに・・・』

そう思われないように、細心の注意を払うのも、気遣いのうちに入る。私は私、私なりに筋を通している、と立派に主張する人もいるが、世の中、どんなに正しいことでも、その通りに受け止めてもらえないことが多い。

自然界の中で、人間社会が一番面倒くさい。

しかし、それが分かっていると、住みやすくなるし、幸福になる。

モラルだったり、ルールだったり・・・

案外と、人間社会だけが、幸せになる方法が、はっきりしているのかもしれない。

本当に、持って生まれた環境が凄いか、または、すごく賢くないと、いけないのだなぁ、と思うことはある。

だから、いくつになっても、勉強し続けることが肝要なのだ。

2018年4月23日 月曜日

アビリティ

Filed under: 社長の望月です。 — webmaster @ 16:36:15

今年も新卒社員を向かい入れることが、月初めから研修が始まっている。

各部署のリーダーが、具体的な業務内容についてではなく、仕事観や人生観を語ってもらう。

大卒なので、基礎学力はあるし、一般的な常識もある。

但し、それは、知っている、または覚えているという範囲内であり、それらを生かすには至らない。

毎年の事だが、その研修の中で、日常よく口にする外来英語を聞いてみると、よくわからないまま、何となくというニュアンス的に使っていることが分かる。

スキルアップ、モチベーション、ポジティブ、ネガティブ、コンセンサス、フリーズ・・・

知らない言葉を、何となく使う習慣は、業務上では大変危険。

特に、顧客からの要望や、上司の指示を、ニュアンス的に受けてしまう習慣の社員は、結果的に、どんなミスをしでかすことか。

ところで、スキルとは、経験をすることで身に付く能力の事をいうが、元々持っている能力はアビリティという。

そのアビリティの中でも、もっとも大切であり重要で、人生の幸福にまで影響するのは、総合考動能力。

その内訳は3つある。

 _燭の壁にぶつかった時に、自分の頭で考える能力

◆,修諒匹鮠茲蟇曚┐詛塾

 これを繰り返しながら高める忍耐能力

この三つは、それぞれで鍛えられる。

社会においては、上司や先輩は、部下にこれらを繰り返し繰り返し体験させる必要がある。

また、それらの教育は、社会からの要請と思うほどの使命感を持つべきでもある。

学生でも、若い社員でも、分からないことや出来ないことが続くと、自分の将来に、夢や希望を持てなくなり、自暴自棄になる。

ドロップアウトの原因の多くは、ここにある。

例えば、成果を、なかなか出せないメンバーは、表面上ニコニコしていても、よほどののんきものでもない限り、その心中は穏やかではない。

しかし、優秀であるがゆえに、そんな素振りも見せないために、上司は指導を怠り、ただ励ますだけで、形式上の指導をする。

本当は、ここで誰かが気づかなければならないのだ。

この、形式上の指導のために、学校ではいじめの問題が片付かない。

本人は、もうどうにでもなれ、という自暴自棄に陥りというのに、リーダーは形式的な対応を続ける。

リーダーの多くは、プレイングマネジャーである。

担当業務については、いたって優秀である。

そのために、メンバー育成や問題解決能力も高いと思われがちなのが、意外と組織マネジメント上では、落とし穴になる。

色んな能力がある。

枝葉の能力や、特殊能力に目が向きがちであるが、今日話した能力が、基本中の基本であると知ってもらいたい。

成果が出ていない場合、それは壁に当たっている。

どうすれば乗り越えられるのか?

黙ってみている時なのか、手を差し出すべきなのか、はしごを貸してあげるのか、上司も部下も、自分の頭で考える。

そして、具体的行動と、効果のある具体的な指導。

あとは、あきらめないという辛抱能力。

この三つを高め、自分の人生を歩こう。

2018年4月6日 金曜日

どう生きるのか

Filed under: 社長の望月です。 — webmaster @ 6:44:33

コペル君が登場する、『君たちはどう生きるのか』は、広い世代で愛読されているようだ。

ちょっと前は『もし野球部のマネジャーがドラッガーを読んだら』という著書が話題に上った。

一昔前の難しい著書が、漫画になったり、分かり易い解説本になったりしたことで、現代でも読み続けられる。

これは、人々の悩みや課題が、いつの世代も本質は同じで、それを求める人々も同じだということなのだろう。

今から、約4千5百年前に造られたスフィンクスに『今どきの若者たちは・・・』という大人の嘆きが書き残されているという。

紀元前12世紀というから、今から3千2百年ほど前に、ハムラビ法典という、原始的ではあるが、規律が出来ていた。

社会に生きる人として、やってはいけないことなどが決められていたようだが、未だに人間は、心の中で、天使と悪魔が戦う。

人がどう生きるのかは、その人の望むモノによって違ってくる。

それは、フロイトの提唱する、潜在意識の作用が大きく関わる。

例えば、有名スポーツ選手の多くは、小学校の卒業時には、将来の夢が決まっている。厳しいトレーニングや生活に、顕在意識では嫌気をさしても、意識のほとんどを占める潜在意識は夢に向かう。

他人に前でした約束は、その人の深層心理に銘記される。従って、無意識で約束を果たそうとする。

『あの人、最近、何か変わったね』と評される人は、深層心理で、何か覚悟したり、決意している人なのだろう。

どう生きるのか、という大きなテーマに、わざわざ時間を取って考える人は少ないだろう。

しかし、どうなりたいのか、どうしたいのか、何が欲しいのか、については、真剣に考え、結論は出すべきだと感じる。

本気で出した答えは、その人の深層心理に銘記され、やがてその人の潜在意識が、習慣や癖となってその人の無意識行動を変えてゆく。

夢といえば大袈裟であるが、夢とは人生の中で、具体的に果たしたい目標でもある。

自分の答えの中に生きる。

『これだ』

是非、そのようなモノを手に入れて欲しいものである。

ちなみに、その人の望んだモノは、その人の手に入る、という原理原則は重要になる。

従って、『この世は思うようにならない』とかネガティブな思考は、捨てなくてはいけない。

2018年4月5日 木曜日

大人と子供

Filed under: 社長の望月です。 — webmaster @ 8:54:23

大人と子供の違いは、一般的には年齢で分ける。

昔は、年齢と言いうよりも、人格だったり、社会的地位だったりしたようだ。

古来、日本では、武士では家老職辺りから、武士以外は商家や庄屋の主辺り以上を、大人としていたようだ。

この、大人と子供だが、いくら子供が大人になりたいと、気合や根性を入れてみても、大人にはなれない。体格も必要だし、年齢的なモノも必要だし、まぁなんとも、ややこしく難しい。

大人と子供は、人間的なレベルの違いのようだが、果たして、そのレベルとは何のか。

子供の頃に、身に付ける技術は、教わる技術である。

大人が教えることを、素直に聞く、聞いたことを覚える、出来るように訓練する。

それを繰り返していくうちに、今度は、教える技術につながってゆく。

それが出来るようになって、大人の仲間入りをするのだはないだろうか。

トヨタ自動車では、『それが出来て半人前。教えることが出来て一人前』という口癖があると聞いたことがある。

現在の日本社会では、年齢的成長の中で身に付ける、人間技術が退化しつつある。ここでいう人間技術といは、単独では成り立たず、相反する技術、一対でもって成り立つ。

● 教わる技術と教える技術

● 話す技術と聞く技術

● 理解させる技術と理解する技術

● 愛する技術と愛される技術

等など、色々とある。日頃は、情熱やモチベーションがあれば、何でもできるような話をしてきた。しかし、子供は大人になれない。

部下は、上司の思うようにならない。

生徒も、教師の思うようにならない。

メンバーは、リーダーの思うようにならない。

その原因に、人間技術のレベルの差が障壁がある。

悲惨なケースは、人間レベルが同じなのに、上司と部下になってしまった場合・・・

知識レベルや専門技術レベルが同じでも、組織運営に支障はないが、人間レベルに於いてはそうはいかない。

上手くまとまらないが、人間レベルでいう、尊敬される技術、感心される技術、愛される技術なくして、リーダーシップは執れない。

親子の場合、親は子供を養育してこそ、親としての存在となる。養育する技術とは、働く技術、稼ぐ技術、忍耐の技術等など。

パワーの発揮に、気合と根性が大切なのと同様に、フォースの発揮には技術がいる。

お互いの技術のレベルが分かれば、合わせることが出来る。

新社会人がいっぱい誕生した。

是非、上司や先輩の方々は、このようなことも意識して、後輩の育成に、辛抱と忍耐の技術を発揮してもらいたい。

2018年4月4日 水曜日

生まれ変わり

Filed under: 社長の望月です。 — webmaster @ 8:55:29

仏教やキリスト教では、輪廻、転生、復活などと、人間の魂には終わりがないと考えられている。

身近な話題として上るのは、『あの人はOOの生まれ変わりだ』という話。

そうなのかなぁ、と思えばそのように感じるし、そうではないなぁ、と思えば、そうも思える。

稲森和夫さんは、『人間の魂は、宿った肉体を通じて磨かれ、肉体が滅ぶと、また次の肉体に宿り、魂は滅ぶことがない』というような教えをする。

小さな子供が、いきなり外国語を話したり、他人の記憶を覚えていたりするニュースを観たことがある。

生まれ変わりかどうかを、科学的には証明できなくとも、私は、生まれ変わりを信じる。

私が家の建て替えをした後のこと。

近所の柴犬が、いつものごとく逃げ出していて、私の家を眺めていた。

眺めていたのは、以前は玄関だった辺り(今は反対側)で、なにやら懐かしそうだった。

丁度、車で帰宅した私には、その柴犬が、以前に飼っていて亡くなった、愛犬のような気がした。車が近寄っても逃げず、思わず愛犬の名前を呼んだ。

すると、その柴犬は、こちらを振り向いた後、寂しそうな表情をした。(私にはそう見えた)

戻ってみたのか、寄ってみたのか分からないが、昔住んでいた家の形は変わってしまい、家族の様子も分らないから、そのような表情をしたのだろう。(私にはそう見えた)

再度『ヤマト』と名前を呼ぶと、ちょっとだけ車に近寄った後、立ち去った。

帰宅すると、家内に『ヤマトが来ていたよ』というと、『あり得るかもね』と応えてもらって嬉しかった思い出がある。

先日、読書感想レポート研修の中に、えっ!と思うほどの言葉を見つけた。

それは、営業担当の関根君のレポートにあった。

『人は生き続ける限り、終わりは来ない』

確かにそうだ。

身近に、こんな哲学者がいたのかと思うと、嬉しいや怖いやら、いずれにしろ大変な発見である。

生きている限り、森羅万象に渡り、終わりはない。

それは終わりに見えるが、実は始まりであることばかり。

しかし、まさか関根君に教わるとは思わなかっただけに、衝撃から始まった四月になった。

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