2018年12月11日 火曜日

雑感

Filed under: 社長の望月です。 — webmaster @ 10:09:53

今朝の日経新聞埼玉版に、登山の遭難についての記事がある。

『遭難多発、安全確保へ』という見出し・・・

要約すると、富士山や南アルプスの登山者に対し、登山届の提出を努力義務化したとある。

それでも遭難が多発しているので、厳冬期に関しては、義務化にする。

しかし、提出しなくても罰則はない。

なんなんだこれは・・・

つい最近まで、登山はマイナーレジャーで、ここ数年で一気に広まった。

山頂付近まで車で行けて、ウェアーなどもおしゃれになった。

山梨山岳連盟は、『登山だけでなく、遭難も大衆化している』なんてのんびりしたことを言っているが、そんな場合じゃないだろう。

日本という国から、自己責任という言葉が消えつつある。

特に登山は、多少の危険が伴うところに魅力がある。

その危険と、困難さを乗り越えて山頂に立つから面白い。

山頂を見るだけなら、衛星写真でいいし、ヘリコプターで行けばいい。

そのリスクは、自己責任が負うべきである。

危険が嫌だし、困難も嫌だ、というなら、柵で仕切られて公園の芝生で遊べばいいのである。

ところで、努力義務となんという回りっくどい言い方で、まぁよく考えたものだ。

命に係わるとは思えない。

自己責任で行かせればいいのだ。

ライフジャケット未装着の溺死、渡航禁止地域でのトラブル、遊泳禁止場所での遊泳・・・

本人が一番の責任でその次が他人である。

登山については、そのブームを創った業界や、もてはやしたTV局、出版社にも責任がある。

やりっ放しでいいのか・・・

とにもかくにも、いかにも回りが悪いという風潮は、一般生活にも浸透し始めている。

周囲の意見は違うだろうが、自己責任については、もっと声を大にして口にしてもいいと感じる。

北半球と南半球

Filed under: 社長の望月です。 — webmaster @ 9:42:34

昨日、ノーベル賞の授与式があった。

今年も、日本人が受賞し、同胞として鼻が高いし、誇りを感じる。

ところで、ノーベル賞受賞者は、なぜ北半球が多いのか?

また、先進諸国は、なぜ北半球ばかりなのか?

偉人と呼ばれる人も同様である。

何年か前から、漠然と考えてはいたが、改めて調べると、意外と簡単だった。

大きくは二つの要因になった。

一つは、世界人口の92%は北半球に住んでいる。これは、何かにつけても、北半球の人が絡む確率が高い。

もう一つはの理由は、世界面積の62%が北半球でり、寒冷地にも人が住む。

南半球に比べて寒い地域が多く、土地も貧弱で、住むには困難が多い。

従って、知恵を振り絞ることが必要となり、次から次へと便利な発明が生まれ、文明が高度に発展してゆく。

南半球のイメージは、気候が温暖で、食べ物が豊かにあふれている。

放牧や遊牧など、広大な大地で、人も動物ものんびりしている。

特に赤道付近は、常夏で、何のストレスもない生活をしている感じがする。

生活に困ることはあまりなく、文化も文明も、ゆっくり動いている、というイメージ。

北半球はあくせくし、人々は常に競争している感がある。

文化も文明も、その発展はスピードが高い。

どちらが良いのか?

まぁ、どっちも住めば都だろうけど、それは、その人の価値観が決めることだろう。

この感覚で身の回りを眺めてみる。

案外と、あてはまる状況が多く、興味深い発見につながる。

ちなみに、1700年代発行の、自助論(日本語訳は西国立志編)によると、偉人と呼ばれる人の多くは、貴族や富豪の出身ではなく、貧しい階層から出ていると書かれている。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%AA%E5%8A%A9%E8%AB%96

しかし、それも調べると、同じ貧しくても、南半球からはあまり偉人は出ていない。

土壌って大事なんだな、と改めて感じる。

現在、国会では外国人受け入れについて議論がされているが、もしかしたら、このようなことまで調べられた上で、相手国を決めているのかもしれない。

日本も、北と南では違うのだろうか・・・

どうでもいいといえばどうでもいい話なのだが、自分の大局観を育てるには、このような大きなことに興味を持つことが大切だといわれている。

2018年12月7日 金曜日

ハイテクとローテク

Filed under: 社長の望月です。 — webmaster @ 9:07:09

技術革新が止まない現代社会。

特に、電子技術に関しては、勉強しないと追いつけない勢いがある。

スマホが一台あれば、日常生活には事足りないということがない。

便利な時代になった。

ところが、昨日のように、管理側にトラブルが起きると、社会の流れが止まってしまう恐れがある。

ニュースでも、『何もできない』 『不安』というユーザーのコメントが報道されていた。

オール電化の家は、停電が起きればアウト。

お湯が沸かせないくらいならいいが、家に入れない、という笑うに笑えない話もある。

パソコンのデータも、サーバーやクラウドに保管してあっても、場合によっては破損して消える。

ウィルスや外部からの攻撃にも弱い。

私は、有線電話機の時代に、コードレス電話機が誕生した頃から、ハイテクとローテクの組み合わせを、お客様に薦めるようになった。

コードレスは便利だが、充電不足や盗聴などの危険がある。

有線電話はローテクだが、安心で安全。

スマホ一台あれば何でもできる時代になったが、不測の事態に備えるのバックアップは大切だと考える。

私の場合、未だにMOをパソコンにつないでいる。

システム担当は、『えっ? 今時?』みたいな顔をするが、大切なデータはトリプルバックアップでも、100%とは思えない。

登山に行くときも、未だにコンパスを持ち歩く。

実際には、スマホのナビとコンパスを使うのだが、万が一、GPSが使えなくなったら・・・と考えてしまう。

車にマッチは入れてあるし、地図も用意してある。

カードと現金は、必ずセットで持ち歩く。

ところで、ローテクには、ハイテクには無い『味』がある。

景色をきれいに描写するカメラはハイテクである。

しかし、人が描いた風景画の方が味がある。

デジタルカメラとフィルムカメラを一緒に持ち歩くカメラマンが意外といるそうである。

ハイテクとローテク。

どちらが良いかどうかと、単純に比較する向きがあるが、どちらも大切だというお話です。

ちなみに、人間も同じではないでしょうか。

2018年12月6日 木曜日

安全が引き起こす危険

Filed under: 社長の望月です。 — webmaster @ 17:28:15

最近、毎日のように耳にする『煽り運転』。

ネットでも煽り運転の映像は多く、社会問題になっている。

煽り運転行為は、昔からある。

ところで、皆さんは、前を走っている車を煽ったことはないだろうか?

まぁ、どの程度を煽り運転というのか、人によって違うと思うが、車間距離を短くするくらいのことはやった経験があるのではないか。

正直、私はある。

流れている、片側3車線の高速道路の追い越し車線を、100km/h程度で巡行している車には、はっきり言ってストレスを感じる。

同じく片側3車線の高速道路の、ど真ん中を90km/hで巡行する車にも、同様にストレスを感じる。

高速道路の制限速度は100km/hだし、3車線中、左の2車線は走行車線である。

そこを、制限速度で走るのは、当然なのだ。

しかし、見ていると、渋滞を引き起こしの原因を創り、左側から追い越す車もいる。

もちろん、左側から追い越すなんて、もってのほかだ。

それは違反であり、非常識である。

分かってはいるが、その光景を非難できない。

ところで、テレビで見るような煽り運転は、数回しか見たことはないが、あそこまで酷いのは経験がない。

煽る運転手がどうしようもないことは明白である。

しかし、煽りを引き起こす運転手がいることも事実だと感じる。

どこか、社会での取り上げ方が、イジメ問題に似ている。

ただ、イジメも煽り運転も、昔は事件になるほどではなかった。

まぁ、口げんか程度の小競り合いで収まっていたのだろう。

それがエスカレートしている。

イジメ問題がなくならないように、煽り運転もなくならない。

社会全体の尺度が、現代人の感覚に合わなくなってきていることも、原因の一部だと感じる。

昔は安全運転といわれた走り方が、現代は違うのかもしれない。

高齢のペーパードライバーがゴールドで、毎日のように運転するドライバーが水色。

そのゴールド、本当に安全ですか・・・

なんだか話がまとまらないが、日本には、騙す方も悪いが、騙される方も悪いという独特の考え方がある。

こんな話は、当然、当事者の前ではできないが、原因分析解明には、こんなところにも着目する必要はあると感じる。

現代人は、イライラし過ぎ。

そして、安全が引き起こす危険もあるということ。

2018年12月4日 火曜日

悪について

Filed under: 社長の望月です。 — webmaster @ 18:37:56

辞書には、悪いこと。人道・法律などに反すること。不道徳・反道徳的なこと。とある。

悪人、悪党、悪道、悪食、悪路、悪口、悪魔、悪童、悪妻、悪態、悪役等と、悪は実に身近な言葉でもある。

しかしながら、今日の今日まで、悪とは、なんとなく悪いことという漠然とした捉え方をしていることに気づいた。

『悪』とは何か?

『悪』の反対側には『善』がいる。

しかし、不思議なことに、悪人の反対は善人なのだが、それ以外の悪の付く言葉には、善の付く反対語がわずかである。

そうなると、今度は『善』とは何かとなってしまう。

話は変わるが、『悪』には、『絶対悪』と『必要悪』があるといわれている。

語弊があると困るので、具体的な例話は避けるが、特に後者の『必要悪』は取り扱いが難しい。

よく言われる話に、組織は2:6:2、というものがある。

2割の優秀な人、6割の普通の人、2割のダメな人というもので、ダメな2割を切ると、6割の普通の人からダメな人が誕生してしまう。

だから、ダメは人と分かっていても、切らずにおいておく。

この話も、必要悪に通じると感じた。

あえて政治的な話は出さないが、政治の世界でも同じようなことが言える。

社会の中でも同様である。

若い頃、人が集まらず、採用に苦労したことがある。

やっとの思いで採用したら、全然だめで、いくら教えても、いくら指導しても向上しない。

その内、優秀層、普通層までもが、ダメになりだした。

慌てて、そちら側へと向き直したら、かえって以前より成果が出始めた。

ああそうか、と気づいたのは、ダメな人にはダメな人なりの存在価値はある。

マネジメント側にとっては、必要悪は大切な要素なのである。

いらないけど、多くの人たちの、何かに好影響を出す存在と考えれば目もつぶれる。

昔読んだ本に、こんな話があった。

組織の中は、4つの層に分かれている。

1、会社の方針に賛成で、業務が優秀である

2、会社の方針に賛成だが、業務が劣る

3、会社の方針に無関心だが、業務が優秀である

4、会社の方針に反対だが、業務が優秀である

5、会社の方針に反対で、業務も劣る

6、会社の方針に無関心で、業務も劣る

2、3が必要悪で、4,5,6は絶対悪である。

必要悪は切れないが、絶対悪は、実際の経験上、即刻切った方がいい。

但し、当たり前だが、会社の方針が、反社会的だったり、良俗公序を乱す場合は別。

このように受け入れるまでには時間がかかったが、この考え方は、CS向上にもES向上にも通用した。

まぁ、『悪』という捉え方は人それぞれだろう。

私の考えが絶対とわ思わないし、他人に押し付ける気もない。

ところで、一般的な考えに、『悪』に対し好意的というか、憧れ的な感情を抱くことがある。

悪童とか、悪魔に小をつけて小悪魔とか・・・

中国古典のにはは、モノゴトの『善』を付けるなという教えがある。

『善』を決めたら、『悪』を創ることになるという。

考えてみれば、自然界の動物には、善悪の区別はない。

人間だけが、善悪の区別をつけて生きている。

『悪』とは、実に奥深く、難解なものなのではないだろうか、好意的な興味を感じた。

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